それでも世界が続くならに出会ったのはひょんな事からだった。
彼らを知ったのは2012年の2月雪の降る前の日。
その頃の僕は新しい音楽に出会いたくて仕方がなかった高校生。
今のように、Twitterが盛んでなく、新しい音楽を知るのはタワレコだった。
しかし、タワレコは都会にしかなく、月に一度だけいけるタワレコが楽しみで仕方がなかった。
いつもタワレコに行く前の日は、タワレコのHPをチェックして買いたいもの、視聴したいものに目星をつけていた。
それせかとの出会いもタワレコのHPをチェックしている時だった。バンド音楽の右も左も分からない僕にとって『タワレコ限定』という文字はどこか特別に感じ、ジャケットの絵やバンド名に何故だか惹かれた。
雪の降るあの日、靴の中に雪が入り込みびちゃびちゃな靴でタワレコに行ったのを覚えている。他のバンドも視聴し、その日買ったのは、「毛皮のマリーズ」と「それせか」だった。
それせかは、試聴機が無く千円いう値段とバンド名で買った。いわゆるジャケ買いだ。
家に帰り、早速パソコンに取り込んだ。バンド名はすごく好きだし、どんな音楽なのかとワクワクしながら再生ボタンを押した。
家の中に響き渡るノイズの轟音、泣き叫ぶようなギター、怖くなって停止ボタンを押した。ほんの数秒だった。体が拒絶反応を起こした。「今」は聴いてはいけないと。怖くて寒気がした。それから、再生ボタンを押すことは1年ほどなかった。
それせかに触れることなく1年が過ぎ、次に彼らを聴いたのは、
僕の原点と言え、かつ初めて行ったライブである「6joma」のちょっと前だった。
高校三年生、受験もうまくいかずに滑り止めの大学に行く覚悟を決めた時に久しぶりに聞いた。何者でもないことを感じ擦れていた頃に聞いた彼らの音楽は少しだけわかった気がした。
数週間後に観たライブが彼らとの初対面だった。
ステージもフロアも真っ暗な中で、鳴らされる切り刻まれるようなノイズ、その中から僅かに聞こえる泣き叫ぶような歌声。
それは、生きている中で一番誰にも見られたくない自分の姿のようであった。
音楽でここまで自分の弱さを出してもいいのだと感じた。
「男の子は母親の葬式以外で泣いてはいけない」と言われて育ってきた僕にとっては衝撃だった。
それ以降、彼らの音楽は僕の中で心の支えというか最後の砦となった。
僕にとって、それでも世界が続くならは、「強力な鎮痛剤」だ。
人間関係に困り、何もかもがうまくいかない時に彼らの曲を聴くと少し救われた気になれる。特に『参加賞』という曲は、生きていることを肯定してくれる。
僕が彼らの音楽を初めて聞いた時に最後まで聞くことができなかったのは、
当時の僕にとって彼らが必要でなかったからだろう。
鎮痛剤だからこそ、痛みがないときには効かず。作用し生まれないからだ。
僕は間違いなく彼らに救われた1人である。
彼らに救われた僕はその時文章を書きたいと思った。
こういう音楽に救われる人の元に、こういう曲を届けたいと思いで文章を書き始め、今もこうして文章にしている。
それでも世界が続くならは、2018年9月2日一度歩みを止める。彼らの音楽は人を救う。だけれども、人を救うからこそ彼らがやりたいようにやれないのなら止まってもいいと思う、それでも世界は続くから。
僕の好きな曲『参加賞』
それでも世界が続くなら HP