つばさブログ

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ぼくらには、まだロックを歌う平井拓郎が必要なようだ。〜【juJoe】結成に際して〜【ディスクレビュー】

ぼくらには、まだロックを歌う平井拓郎が必要なようだ。

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2018年4月7日、平井拓郎が6年やっていたQOOLANDは解散した。そしてこれを機に平井は、ロックを歌うことを辞めた。
ロックを歌うことに一区切りがついたと言いギター、エフェクターを売りに出し、彼なりの覚悟がファンにも伝わってきた。

 

QOOLANDは日本では第一線にはなりにくい、労働者階級のロックを軸にしながら一歩ずつ階段を登りメジャーデビューしたバンドだった。今のシーンを追っている人なら分かるだろうが労働者階級のロックは少ない。その理由はバンド音楽を聴く層が大学卒業とともに一気に減るからだろう。若い層はバイトをしているとはいえ、正社員の責任や膨大な残業を経験することはなく、労働者の気持ちは分からない。そして社会人になった途端に音楽を聴く人数が減れば、労働者階級のロックを歌ったところで届く人数は言うまでもなく少ない。少ないということは、自明であるが売れることはない。

私はQOOLANDが解散し平井拓郎がロックを辞めたことで、日本における労働者階級のロックが死んだとブログに書いた。

tsubasa518.hatenadiary.com

 

しかし、平井拓郎は労働者階級のロックをやりに帰ってきた。そして、「juJoe」というバンドを結成した。 

彼がロックを再び歌うきっかけはある事件による。今作のジャケットにも書かれているが、バンドが解散し3ヶ月ほど経ったある日ラーメン屋で頼んでもいない唐揚げをおしぼりで拭いていたそうだ。精神科に行くと重い鬱だと診断された。バンド解散前は月の半分ライブをしていた時もあり、ある意味これがシャブのように作用し、シャブが切れた状態になっていたという。もちろん平井はシャブをやっていないが、彼が歌詞に盛り込んだ60年代後半のロックバンドが薬漬けであったのをふと想起させられる。
精神科で平井は「もう一度バンドをやれよ」と言われ、再びバンドをやることになった。
QOOLANDのファンがロックを歌う平井を待ちわびていたのは言うまでもないが、彼が再びロックを歌う決意をした話を聞くと、彼も内在的にはロックを歌うことを待ちわびてたのではないだろうか。

 

juJoeとしてのファーストアルバムは、QOOLAND時代の60年代後半の洋楽を意識した曲やタッピングを多用する曲から、現代の邦ロックに寄せた楽曲になり、QOOLANDを知らないリスナーを増やす可能性を秘めている。歌詞に関しては、明らかに労働者階級のロックだ。QOOLANDが解散し社会でやるせない日々を送っているファンに光が差すようにと歌う『閃光』、10年前と変わらず権力に反抗する意思を持っていると歌う『三十路』と労働者階級のロックを歌詞に込めている。

 

労働者階級のロックが日本で売れないからといって、辞めてしまっていいのだろうか。少なくとも彼が愛してるだろう60年代後半のロックバンドは信念を貫いていた。
いつまでjuJoeが続くは誰にも分からないが、ロックを歌う平井拓郎が帰ってきたことは労働者階級のロックを求める者にとって一つの光となるはずだ。

 

 

 

juJoe official

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juJoe 音源

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