忘れられない好きだった人の幸せを勝手に願いたい ーDear Chambers「BABY」―
- 忘れられない好きだった人の幸せを勝手に願いたい ーDear Chambers「BABY」―
- Dear Chambersとは
- 「BABY」のMV公開
- 「幸せになってくれよ」/ SELFISH
- 「幸せになってくれよ」から10年、そして「BABY」へ
- おわりに
Dear Chambersとは
Dear Chambersとは、2017年に
モリヤマリョウタ (Vo.gt)、秋吉ペレ(Ba.cho)、しかぎしょうた(Dr.cho)により結成されたスリーピースバンド。
2019年の頭に全国流通1枚目をリリースし、全国ツアーを開催し、勢いはとどまる所知らず、今年2枚目の作品を10月にリリースされることが決定している。
バンド名の由来は『スタンドバイミー』という映画のワンシーンとチャンパー(=窩、地下の保存庫)から這い上がるという意味が込められている。
「BABY」のMV公開
このリリースに先駆けて、2nd mini album 『Remember me』より「BABY」のミュージックビデオが公開された。
この公開に対してモリヤマは次のツイートをした。
16歳の時に
— モリヤマ リョウタ (@m_r_chambers) September 11, 2019
"幸せになってくれよ"を作って
26歳で"BABY"を作った。
10年間かかったけど
またラブソングが書けました。
決して前向きな歌ではないけど
僕が銀杏BOYZを夜道で口ずさむように
誰かがこの歌を口ずさんで
悲しみが少しでも消えますように。
どこかで聴いている
君まで届きますように。 https://t.co/ZHTipylRB6
「幸せになってくれよ」/ SELFISH
この「幸せになってくれよ」というのは、モリヤマが前の前に所属していたバンドSELFISHの代表曲である。
SELFISHとは2008年に高校の同級生4人によって結成されたバンド。
2009年には、テレビ朝日系列ストファイHジェネ祭り'09全国大会出場。この時の演奏曲は「Keep on」と「少年ゴリステル」。
2009年の決勝進出者の中には、HOWL BE QUIETの前進バンドtistaや日食なつこなど今でも音楽活動を続けているアーティストがいる。
翌年にも同大会に出場し、優勝している。優勝した際に歌った曲の一つが「幸せになってくれよ」であった。
まず「幸せになってくれよ」を聴いて欲しい。
「幸せになってくれよ」は、疾走感溢れるメロディに、好きでいたかった人への思いをどうにかしてでも届けたいという気持ちがそのままに歌唱に乗った気持ちの圧を感じる曲である。
歌詞では告白をすれば付き合えたかもしれないが、告白をする勇気が出ずズルズルと時が進み、好きだった人に恋人ができてしまった過去を、ふと好きだった人と一緒に歩いた場所で思いだし、今何をしているのかと勝手に想像し、そして自分の好きだったという気持ちが救われるように一方的に幸せになってくれよと思うものである。
もう一度言うがこの曲は16歳の時に書かれた曲である。16歳というと告白になかなか踏み切れずに時が過ぎ、知ってる誰かと付き合うなんてことはよくある話だ。それは18歳を超えてしまえば、グズグズしている方が悪いと𠮟咤されそうだが、このグズグズしているのは、一本指を触れただけで壊れてしまいそうなシャボン玉を触るかのように好きな人に対しての最大の敬意であり愛なのである。
しかし、未だに思い出してしまうそんな相手に対し〈幸せになってくれよ〉というのはかなり口調が荒い。
優しくいうならば〈幸せになってね〉と語尾を“ね”にし相手の幸せに同調したり、〈幸せになってくれな〉と語尾を“な”にし独り言として済ませるが、それでも〈幸せになってくれよ〉なのである。
語尾の“よ”はかなり乱暴で好きだった人に幸せになることを押し付ける言い回しだ。
でも、これは高校生の、初恋の、性なのだ。素直に受け止められない気持ちが見え隠れしつつ、いつかまた自分を好きになってくれるチャンスがないかと思いながらも、そんなことはないことはないことも、分かっていてぶっきらぼうに、はたから見たら身勝手、だけど自分の中では最大限の幸せを願ってしまう。
こんな経験はどの時代でも同じ年代であれば経験するから等身大であり、普遍的なことであるからこそ、この曲は10年経った今でも輝いている。
「幸せになってくれよ」から10年、そして「BABY」へ
そんな「幸せになってくれよ」から10年をかけ、やっと書けたというラブソングが「BABY」である。
BPMはゆっくりで、突っ走るような「幸せになってくれよ」とは比べものにならないくらい落ち着いている。
歌詞も、大人になれば付き合えなかった恋を引きずることなんてなくなり、MVで描かれているように同棲だってありえる。
「幸せになってくれよ」ではただただ好きだったという感情を主観だけで伝えるが、「BABY」では客観的に比喩も使いながら相手の気持ちを、今更遅いと思いつつも汲み取ろうとする。
10年経てば大人になり、10年前と同じことを歌ってもかっこよくはないし、等身大でもない。初恋は初恋の心情があり、何度か恋愛を経験した後の恋は、別れた後に徐々に滲みでてくる心情がある。それは走馬灯のようであり、映画のエンドロールかのように。
しかし、失った悲しみはいくら歳を重ねても情を保てないと、サビでは恋人の名前を叫ぶかのように感情的に歌う。しかも勝手に夢で笑顔の恋人を見て笑い、夢の中でいいからずっと抱きしめていたいと。
だけれども大人だから夢から覚めることも知っているけど、涙は溢れるのだ。それでも〈愛していたんだよ〉と言ってしまう。やっぱり、語尾は“よ”であり、自分勝手に愛していることを伝えてしまうということは10年経っても変わらない。
だが〈もう君に届くはずもない〉ことも知っているし、恋人の未来に口出しするのも相手に迷惑をかけるだけというのも知ったからこそ、過去形で〈愛していたんだよ〉と二人の物語を勝手に終わらせたのだろう。
この今までの経験がありつつも、感情のコントロールができないという葛藤が26歳の等身大なのだ。
おわりに
「幸せになってくれよ」も「BABY」もどちらがいいと言うことではなく、それぞれの年代における好きな人への距離感でありそれは等身大なのである。
そして一度好きになった人はいつ好きになったのかは関係なく、好きだった気持ちを大切にしながら、一生忘れることができずどこかで勝手に幸せを願ってしまうのだ。
16歳と26歳、奏でる音楽や言葉選びは変わったとはいえ、モリヤマの根幹をなす部分は変わっていないのだろう。
この曲もDear Chambersの代表曲になってくれよ、とどこかで願ってしまう。
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